朝6時起床。まだ夜は明けていない。夜が明けるのは8時近くになってからだ。
北京時間を基準にすると、チベットや新疆などの西端の地域はどうしても時差が生じてしまう。
支度をしてロビーに降りると、すでにガイドのドルジさんが待っていた。チェックアウトをしたいが、ロビーの受付カウンターは灯りが消えており、誰もいないようだ。
と思ったらチベット族らしき人がソファーで毛布をかけて寝ている。
ドルジさんがこの人を起こしてチェックアウトの手続きをしてもらい、外で待機していた車に乗り込んだ。
少しずつ夜が白み始め、車窓から周囲の景色を確認できるようになってきた。道は一直線に伸びており、両脇には茶色い岩山が広がっている。
時折チベット族の集落を通り過ぎる。住居の塀には暖房の燃料にするためのヤクの糞が規則的に張り付けられているため、真っ黒い塀のように見える。
集落の近くには霊塔が建っていることがあり、その周りを数人のチベット族がコルラしている。
ヤクの群れが道路を塞ぎ、クラクションを鳴らすといっせいに道路脇に走り出す。
住居も見当たらない何もない場所に電柱のような木の柱が建っており、5色のカラフルなタルチョが取り付けられていて風になびいている。
やがて左側に川の流れる谷が現れて、道路と平行になったところで車が停車した。
ちょっと休憩。近くの谷側の地面からパイプが伸びて水が勢いよくあふれ出ている。
ドルジさんによると谷底の川から汲み上げているもので、ここはラサからシガツェまでの休憩ポイントにもちょうどよい地点なのだそうだ。
水はすごく冷たい。近くにはトイレもある。トイレといってもコンクリートの地面に四角い穴が開いているだけのもので、穴から下を除くと谷底が見える。
トイレを済ませてしばらく周囲の写真を撮るなどして休憩した後、出発した。
正午少し前に小さな街に到着し、昼食となった。のんびりした感じでくつろぎやすそうな食堂だ。
ストーブの近くで猫が寝ている。中国では饅頭といえばしっくりきそうな白い大きなパンと、でんぷんで作った麺が運ばれてきた。
大きく切ったジャガイモが入っていて、あっさりした熱いスープが体を温めてくれる。
昼食後すぐにまた出発し、14時ころシガツェ市街に入った。
宿にチェックインした後、周辺を散策することに。シガツェはラサから西に約280キロ。 ラサに次ぐチベット自治区第2の都市で、チベット仏教界でダライ・ラマに次ぐ序列2位の称号を持つパンチェン・ラマが代々住まう場所だ。 ラサとは覇権争いによる政治的な対立の歴史もあったそうだ。何かと東京をライバル視する大阪のようなものだろうか。 市街の南側が漢族の多い新市街となっており、北側がチベット族の居住エリアである旧市街だ。 ラサに次ぐチベット第2の都市とはいえ、建ち並ぶ建物の大きさや道を歩く人の数を見ると、町としての規模はラサよりもだいぶ小さい様子だ。 しかしそれがいいではないか。 いまや喧噪に包まれつつあるラサよりもこうした静かで慎ましやかな町を歩いたほうが、チベット族のローカルな暮らしを目の当たりにできようというものだ。
市街の西にあるタシルンポ寺の参道までやってきた。線香や数珠を売る店が軒を連ねている。
商品が陳列されているテーブルに数匹の子犬が乗ってじゃれあっている。
肉屋の店先では羊かヤクだろうか、皮をはいだ状態の動物の胴体が吊るされていて豪快だ。
タシルンポ寺は1447年に創建。1600年、当時住職だったパンチェン・ラマ4世が大規模な拡張工事を行って以降、タシルンポ寺はパンチェン・ラマが代々治めるようになった。
境内には歴代パンチェン・ラマを祀った霊塔も建っている。見どころは高さ30メートルの大弥勒殿だ。
高さ26.2メートルの黄金に光り輝く弥勒像は、金以外にもダイヤ、琥珀、珊瑚、トルコ石などの宝石が散りばめられており、一見の価値がある。
タシルンポ寺の入口には近隣の住民と思しき人たちが座っておしゃべりをしている。
そばでは大きな犬が寝ている。入口を入ると広い境内に出る。はるか正面に大きな仏殿が見える。
すぐ背後にそびえる大きな山がタシルンポ寺に勇壮さを与えている。
境内には仏殿や霊塔の他に白い壁や赤い壁をした2階建ての建物が建ち並んでいる。
修行僧の住居だろうか。他のチベット寺院とは少しだけ違った趣を感じる。
夕食は門前にある華やかな感じのするレストランへ。
ヤクの肉と野菜の炒めや大根の千切りの炒め、フライドポテト、それからお店の人に特別に作っていただいた、チベットの正月に食べる、まるでお雑煮のようなスープ。
白いスープの中に大根の千切りと練った小麦粉を親指ほどの大きさに千切ったものが入っている。スイトンのような食感がして面白い。
翌朝、シガツェから南東へ100キロほどの場所にあるギャンツェへ向かった。 ギャンツェはシガツェ市のなかの県のひとつで、古くからインドとの交易の要衝として栄えてきた。 1904年にインドから侵攻してきたイギリス軍と激しい戦闘が行われた場所でもある。 その舞台となったのがギャンツェ・ゾンと呼ばれる城塞で、ギャンツェの町のシンボルとなっている。 チベット自治区第3の都市と呼ばれてはいるものの、シガツェの町の規模より更に小さくなり、田舎町という雰囲気がたっぷり味わえる場所だ。 ギャンツェに立ち寄った後、ラサに戻り、今回の旅の終わりとなる。
町の中心にある広場から歩いてパンコル・チョーデへ向かった。
これまで訪れた寺院はみなチベット仏教における主流の宗派である「ゲルク派」に属しているのだが、パンコル・チョーデは特定の宗派に属さない珍しい寺院だ。
異なる宗派が共存し、最盛期にはここで学ぶ学僧は2000人を超えることもあったという、チベット仏教研究の中心地としての役割も担っている。
パンコル・チョーデでひときわ目立つのが巨大な白い仏塔だ。
「ギャンツェ・クンブム」と呼ばれるこの仏塔は「白塔」、「白居塔」とも通称され、高さ32メートル、9層建ての大きさを誇る。
近くで見るとなるほど大きい。中に入って上まで登ることもできる。「ギャンツェ・クンブム」の手前にある本尊には三世仏が祀られている。
三世仏とは、それぞれ過去、現在、未来を司っている、阿弥陀仏、釈迦仏、弥勒仏のことである。その周囲におびただしい数の仏像やタンカなどが安置されている。
これからラサに戻って1泊し、明朝の列車で西安に戻る。途中でヤムドク湖に立ち寄り、その美しい景色を堪能することができた。
ラサ駅まで送ってもらい、ドルジさんと運転手さんとお別れだ。昨日見たヤムドク湖を見てふと思ったことは、今眺めているこの美しく壮大な自然は、 時として過酷な試練をも人間に与えるのだということだ。標高が高く日差しのきついチベットに生きる人々の顔はみな陽に焼けて浅黒い。 旅行でほんの何日間か滞在することと、実際にそこで生きていくこととは、きっとわけが違うだろう。 チベットの手つかずの自然を眺めることは他では得難い体験だが、それは自然の一側面に見たに過ぎない。 チベット族の人々が祈りを捧げるのは、時には恵を与えてくれ、時には恐ろしい脅威となる自然に対してもあるのではないか。 そのような人々の思いが、チベット仏教という独自の教義を生み出したのかもしれない。 ラサを出発した列車の車窓から外を眺めながら、そんな思いに駆られた。
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