青海省に行ってみようと思い立ち、今回の旅を計画し始めるまでは、西寧を含む青海省東部から甘粛省南部、四川省北部の一帯が「アムド地区」と呼ばれていることを知らなかった。 イスラム教を信仰する回族の色濃い地域という認識は半分しか当たっていない。この地域には回族だけでなく多くのチベット族が居住し、チベット仏教の寺院が数多く存在する。 経済活動は最低限に済ませ、ほとんどの時間を自分たちの宗教に捧げている。彼らの生活を眺めることはとても興味深い経験となった。
西安を午前7時半に発車した列車は予定より少し遅れて午後6時に青海省の省都西寧に到着した。
約11時間の列車の旅。夜行列車であれば寝ているだけだが、陝西省西部の山岳地帯を抜けてからは、天候の良いことも手伝って、車窓から景色をたっぷり楽しむことができた。
列車の旅の醍醐味のひとつだ。寝台車両には寝台部分と反対側の窓際に座席が設けられている。この席に座って食事やおしゃべり、車窓の景色を眺めることができる。
西寧駅に到着して列車を降りると、すぐに肌寒いものを感じた。西安に比べてかなり北に位置し、標高が高いせいもあるだろう。
西安の標高約400メートルに比べて、西寧は約2200メートル。かなり高所だ。早速長袖シャツを出して羽織ることにした。市内を歩いていてよく目につくのは、名産の冬虫夏草や黒いクコの実を売る店だ。
黒いクコの実は赤いクコの実よりも小さく、丸みを帯びた形をしている。値段は赤いクコの実の10倍くらいする。
飲食店はというと、やはり回族の店が多い。おなじみ牛肉麺の店、羊肉麺片(メンピェン)の店、これは羊肉の入った熱いスープに四角く平べったく切った麺が入ったもの。
値段は8元前後(約130円)で、牛肉麺と同様に老若男女に食されるこの地方のローカルフードだ。もちろん羊肉の串焼きの店もある。ただ、西寧の回族は戒律が厳しいようで、串焼きを振る舞う店でも飲酒のできない店が多い。
飲酒を許してくれる店でも、しぶしぶといった様子であまり良い顔はされない。店内にアルコール類は一切置いておらず、自分たちで近所の酒屋やコンビニで調達してから店内に持ち込む形となる。呑んべえの方は注意されたい。
もちろん、接待や会合で使われるような大きなレストランではそのようなことはないのだろう。
西寧市内北東部に位置する「青海蔵文化博物院」はチベット医学を始めとする、チベットの文化や習俗に関する展示を扱った博物館だ。
当館の目玉はギネスブックに登録されている全長618メートルのタンカである。
タンカとはチベット仏教の事柄が描かれた掛軸のことで、食堂や自宅のリビングに飾るような小さいものから、チベットの正月時期や重要なイベントの際に寺院に集まった人々の前で開帳される大きなものまで、様々な様式や大きさのものがある。
当館のタンカは618メートルもあるため、初めから最後まで見終わるまで、さっと流して見ていっても30分、じっくり見ていけば1時間はゆうにかかるだろう。写真撮影が禁止されていたのが非常に残念だが、その完成度には圧倒されるばかりだ。
チベット仏教を象徴する数々の神々、歴代最高指導者(ダライ・ラマ14世は除く)、原始の時代から現代までに至るチベットの人々の生活の移り変わりを描いたものなど、チベットの文化に関するあらゆるものが描かれている。
西寧を訪れるなら、当館のタンカは必ず見ておきたい。チベットに関心のある方はその想いをさらに強くし、それまでチベットに関心のなかった方も、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けることだろう。
タール寺は、西寧市内から西へ車で1時間弱の湟中県にある。青海湖に次ぐ西寧近郊のボピュラーな観光スポットと言えるだろう。 チベット仏教ゲルク派六代寺院のひとつとして数えられ、その規模の大きさと、チベット仏教の学術機関としても重要な位置付けがされ、500人以上の修行僧が毎日学問に励んでいる。 巡礼のチベット族のみならず、タール寺を訪れる観光客は多く、周囲は門前町として日々整備が進められている。メイン通りからは見えないが、裏通りに入って丘を越えると、建設中の高層マンションなど湟中県の住宅街が一望できる。 明代に建てられたチベット寺院は文化大革命で建造物の多くが破壊されたそうだ。 現在は周囲の近代化の波にさらされながら共存の道を辿ろうとしている。変わらないのは、巡礼に訪れるチベット族の信仰へのひたむきさだけかもしれない。
さて、中国の遺跡と聞いて思い浮かぶのは、ひとつにはやはり万里の長城だろう。青海省にも長城があるというので、西寧から北へ車で1時間、大通回族土族自治県を訪ねた。
「西寧で万里の長城?」「何も西寧に来てまで万里の長城を見なくても」そんな声も聞こえてくるかもしれない。また、大通の観光名所は長城ではなく、「老爺山風景区」という風光明媚なことで知られる景勝地。大通を訪れる観光客はまず老爺山目当てだ。
しかしちょっと待ってほしい。多くの人が知ってか知らずか、長城は老爺山の向かい側に位置し、長城の建つ丘から老爺山を一望できる。これは大通の長城を訪ねることの大きなアピールポイントになると思うのだが、いかがだろうか。
記録によれば明代の1546年に着工し、約50年かけて50キロメートルもの長城を完成させた。
中国全土に点在する長城において、大通の長城は最も標高の高い場所にある。老爺山を含め、長城から眺める周囲の景色は絶景だ。
なだらかな山の斜面を覆う緑。放し飼いにされている牛や馬が草を食んでいる。長城をかたわらに一息ついてお茶で喉を潤すのはとても贅沢な一時だった。
大通から西寧に戻るとちょうど昼食の時間となったので、回族のレストランで「炮仗」を食べた。5センチほどの間隔に切った麺を炒めた西寧の大衆食だ。野菜や牛肉と一緒にフライパンで熱々に炒められた麺を、行儀は悪いがフーフー冷ましながら一心にかき込もう。
西寧から南へ車で3時間。いくつもの渓谷や集落を越えて、青海省黄南チベット族自治州の同仁に到着した。 よりチベット族の存在が濃く感じられる街だ。道端で果物やパンを売っている人たちもチベット族が多い。もちろん、 あなたはチベット族ですか?と聞いて周ったわけではない。私たち日本人や中国で一般的な漢族と比べ、チベット族の人たちは幾分彫りの深い顔立ちで、少しだけ中央アジアやヨーロッパの人たちに近い感じを受ける。一方で、モンゴル人のような顔立ちをしている人もいる。 共通するのは肌の浅黒いことだ。高所での生活がもたらす強い紫外線の影響だろう。 これを嫌ってか、チベット族の若い人たちは日中は帽子を深くかぶりマスクをしていることが多い。実際日焼けしやすいようで、私も日中歩き回って、宿に戻って鏡を見ると、なるほど顔がうっすら日に焼けて赤くなっている。日焼け止めの使用と、少なくとも帽子はかぶって行動した方がよいだろう。
隆務大寺は1301年にサキャ派の寺院として創建されたが、後にゲルク派に転向し、現在に至る。他のチベット寺院と同様、仏殿と修行僧の住居が混在しており、寺院の中もまたひとつの集落を形成しているわけだ。仏殿に入るとチーズを温めたような匂いがする。
仏像の周囲に灯されているロウソクが、ヤクから作られたバターを原料としているためだ。独特の香りで、年配のチベット族の衣服からも同じ匂いがする。いくつかの仏殿をあらためて眺めると、きらびやかな色使いで、チベット仏教独特の印象を受ける。
しかし、比較的新しい仏殿の中には、文化大革命によって破壊されたことによる改修や建て替えがあったと聞く。
穏やかな時間が流れているように見えるチベット族の暮らしにも、激動の時代があったことを示している。
同仁のメインストリートを歩いていると、「?牛酸?」と書かれた看板をよく目にする。ヤクのヨーグルトのことだ。ひとつそのヨーグルトを味わってみようと思い、隆務大寺のすぐ向かいの商店に立ち寄った。
奥にいた若いチベット族の男性が冷蔵庫を指差してヨーグルトか?と聞いてきた。座れよ、と店の外に置いてあった椅子を指差し、冷蔵庫からヨーグルトを出して、砂糖を少しまぶしてくれた。うまい!以後、旅行中は毎日ヤクのヨーグルトを食べることになった。
同仁の街から北へ車で15分ほどに吾屯荘がある。村と呼ぶにも小さな集落だが、吾屯下寺と吾屯上寺のふたつのチベット寺院があるために、訪れる人は多い。同仁は西寧の文化博物院にあるギネスブックに載ったタンカが制作されたことで有名なチベット芸術の中心地だが、とりわけこの吾屯荘にはタンカを制作する絵師が多く暮らしている。
道沿いには工房が点在しており、タンカ制作の見学やタンカを実際に購入することが可能だ。
周囲ののどかさとは対照的に、吾屯下寺の塔や仏殿はきらびやかだ。派手である。タンカ絵師の住む土地にあるだけあって、仏殿の中にも美しいタンカがいくつも飾られていた。1385年に創建された吾屯下寺には現在100名ほどの僧が暮らしている。
吾屯下寺の裏手から畑を通じて見晴らしの良い丘に出ると、美しい緑に包まれた山々を一望できる。ここで一日中何も考えずに日光浴を楽しめればよいのだが。
同仁から西へ車で3時間、青海省を抜け、甘粛省甘南チベット族自治州にある夏河にやってきた。 夏河にあるラプラン寺は、西寧近郊にあるタール寺と並び、チベット仏教ゲルク派六代寺院のひとつであり、同仁に比べれば街の規模も大きく、観光客も多い。 近郊には空港もあり、成都や西安、ラサなどの路線があるそうだ。欧米人の観光客を目にすることも少なくない。
夏河の街は東西に7,800メートルほどの長さのメインストリートがある。このメインストリートには夏河県の自治政府の建物やバスターミナル、恐らく漢族の住居であろうマンション、大小さまざまなホテル、レストランが立ち並び、東に進むほど土産物屋やチベット僧の僧衣を売る店などが多くなる。この東の突き当たりがラプラン寺だ。
ラプラン寺の創建は1709年。北側に山を背にし、常にお香が立ち上り、たくさんのチベット僧や巡礼に訪れた信者たちが出入りしている。寺院内の仏殿を参観するには院内にあるインフォメーションセンターにいる僧侶の案内を伴う必要がある。仏殿以外でも、迷路のように入り組んだ、僧侶の生活する住居群を覗き見するのも面白い(もちろん迷惑をかけない範囲で)。
ラプラン寺は規模の大きい寺だが、1時間程度で院内を一通り見学できるはずだ。何か物足りないな、と思ったら、チベット族と一緒に寺院の周りをコルラするとよい。コルラとは仏塔や寺院の周りを時計周りに歩くことで、チベット族はみな一心に、ある人は念仏を唱えながら、ある人は黙々と石や木でできたブレスレットを握りしめながら、寺院の周りを歩く。
彼らと一緒に歩いていると、彼らが何を考えながら日々を過ごしているのかが、ほんの少しだが、理解できるような気がするのだ。マニコル(マニ車)も面倒くさがらず、ひとつ残らず回しながら歩こう。
マニコルを1回回せば、念仏を1回唱えたことになる便利なものだ。
ラプラン寺の西の土産物屋や食堂のある道をしばらく歩くと、やがてチベット族の住居のある集落となる。さらに進むと、羊が放し飼いにされている畑に出て、街の南を流れる大夏河という川のせせらぎを眺めることができた。
さて、これは余談だが、夏河の街は物価が少し高いように感じた。というのも、同仁で味わった4元(約65元)のヤクのヨーグルトが、夏河では同じ手のひらサイズの容器に入ったものが10元(約160円)もしたのだ。夏河はこの地域では有数の観光地なだけあって、特産品はだいぶ観光地価格に上乗せされているのだなと、なまぐさな事を考えてしまった。
列車の車窓から見る景色に大きなインスピレーションを受けるように、街から街への自動車での移動もまた、旅の良い思い出になる。夏河からさらに南に4時間半。
甘粛省甘南チベット族自治州碌曲県の小さな村、郎木寺にやってきた。標高3370メートル。
道中、一面緑の山々を行く中、ふと目を離して再び窓の外に目を移すと、景色が白い雪に覆われていた。
昨日、夏河では日中Tシャツで出歩いていたというのに。窓ガラスが度々霜で外が見えなくなるのを拭きながら、やみくもに写真を撮った。
雪原は数十分で通り過ぎ、郎木寺に着いた時には路面が雨に濡れている程度だった。
郎木寺を小さな集落ということなかれ。欧米人を始めとした観光客で大いに賑わっている。メインストリートは夏河より小さいが、全て観光客のためのものだ。
四川料理からチベット料理、日本食まで様々なレストラン、ホテル、ユースホステル、また青海省名産の白酒「青?酒」を売る店など。
しかし、喧騒に包まれているほどではなく、やはりのどかさの方が優っているようだ。
宿に荷を置き郎木寺に向かう道すがら、土産物のブレスレットなどを売る屋台をひやかしたり、ヤクのヨーグルトを食べたりして楽しんだ。
ヤクのヨーグルトは紙コップ状の容器で5元(約80円)。やはり観光地である。
郎木寺には南北ふたつのチベット寺院がある。北に色止寺、南には格爾底寺。色止寺では「鳥葬」、格璽底寺では郎木寺景区へのハイキングが一般的な観光客の認識のようだ。まず始めに北の色止寺を訪れた。
やはり鳥葬とはどういうものか興味があったが、鳥葬は早朝でなければ見物できないという情報を事前に入手していたため、今回の旅のスケジュール上、見物することはできないだろうと了解したうえでの参観である。
鳥葬とはチベット族独特の葬儀の方法で、チベット仏教の教えでは人間は亡くなるとその魂は転生のために身体から抜け出る。そのいわば抜け殻となった身体を無駄にせず自然の役に立てるため、鳥に遺体を食べさせるのが鳥葬の意義だそうだ。
西寧の文化博物院にあるタンカにも鳥葬の様子が描かれている箇所がある。
色止寺は山の斜面にあり、仏殿を参観しながら、なだらかな勾配を登っていく。
先々には石や木のアクセサリーを売るチベット族のおばさんたちがいる。おばさんたちに積極的に話しかけ、チベット語の練習をしてもよいだろう。
おばさんたちも気軽に応じてくれる。
チョデモ(お元気ですか)、ガデンチェ(ありがとう)、デモチェ(さようなら)など。
30分ほど道なりに登っていくと鳥葬台に到着する。この30分は容易のようで容易でない。何しろ3370メートルの高地であり、少しの勾配でも息切れしやすい。鳥葬台はタルチョが一面に飾られて一見明るい様子に見えるが、ここは葬儀の舞台なのだ。周辺は牛が放し飼いにされていてのどかだ。
鳥葬台の横の道を行くと山の頂上にたどり着き、郎木寺を一望できる。
色止寺の登山を終えて、しばらく休憩した後、南側にある格爾底寺へ向かう。実は郎木寺は甘粛省と四川省の省境にあり、この格爾底寺は四川省に位置する寺院となる。色止寺と異なり、格爾底寺の敷地は勾配のない平地にある。敷地には一般のチベット族の住居もあるようで、ベンチに腰掛けておしゃべりをしている人がいたり、洗車をしている人がいたり、敷地内にいるチベット族の人たちはどこかのんびりしている様子だ。
先に書いたように、ハイキングを目的に格爾底寺を訪れる観光客が多い。格爾底寺の入口から西に進むと、小さな川が流れる広場に出る。
そこではたくさんの修行僧の少年たちがバレーボールやサッカーをして遊んでいた。なかなか珍しい光景だろう。
修行僧とはいえまだみな子供なのだ。その広場から川沿いに谷間となっており、どのくらい先に進めるかわからないが、多くの観光客が川歩きを楽しんでいた。
ここには郎木寺のチベット語での呼び名である「タクツァン・ラモ」の語源となった、伝説上の虎が住んでいたという小さな洞窟(タクツァン)や、女神(ラモ)を祀った祠がある。
今回の旅の最終目的地は蘭州である。蘭州駅から列車で西安に戻るプランだ。郎木寺から蘭州は相当距離もあり、また日程にも余裕があったので、合作を訪れることにした。合作市は甘粛省甘南チベット族自治州の州都である。郎木寺からは車で3時間弱。夏河と郎木寺を結ぶ中継ポイントでもある。 州都に指定されるだけあり、合作は夏河や郎木寺と比べればかなり規模の大きい街だ。南北に主要な通りが3つほどあり、この通り沿いにマンションやデパートが林立している。漢族の住む割合もかなり多いようだ。 とはいえ、それほど遠くない場所に見える山脈が太陽に照らされた時の美しさは、この街が、喧騒が覆う大都会の猥雑さとは一線を画していることを示している。
合作寺の手前に雄々しく建つミラレパ仏閣は間違いなく合作のシンボルだ。高さ38メートル、美しい山脈を背に建つミラレパ仏閣の風格は、訪れる人々を魅了してやまない。もともとは現在のブータンの国境近くにある、チベット仏教において最も重要な聖者のひとりであるミラレパが建てた塔「セルカル・グトク」を模して建てられたものだ。
周囲のチベット族の真似をし、自分もミラレパ仏閣の周囲をコルラする。その後、実際にミラレパ仏閣の中に入って見学する。
外見上、窓が最上階まで12個あるので13階建てかと思ってしまうが、実際は9階建てである。
内部は壁際に様々な仏像がタンカが置かれており、やはり多くのチベット族がお参りに訪れている。
ミラレパ仏閣を見学して昼食をとった後、ヤクのヨーグルトを食べる。合作ではヤクのヨーグルトが同仁で食べた時と同じ大きさの容器で6元(約96円)。
同仁の次に安い価格だ。満足の思いで、腹ごなしに合作寺の後ろにある丘に登り、周辺の景色を堪能する。合作寺周辺ではなぜか豚が放し飼いにされていたのが面白い。
合作寺からしばらく歩いて街を散策していたところ、あいにく雹まじりの夕立に合ってしまい、ほうほうの体で宿まで戻ることとなった。
さて、旅もいよいよ明日で最後。蘭州だ。
蘭州から合作方面はここ数年の間に高速道路が開通したことで、かなり交通の便がよくなったようだ。 事前の下調べでは5時間ほどかかるとみられた合作−蘭州間だが、実際は3時間もかからず蘭州に到着した。
蘭州にはこれまで2度訪れたことがあり、今回は特に寄り道せず帰る予定にしていた。しかしちょうど蘭州に到着したのはお昼時、せっかくなので最後に羊料理のご馳走をいただいて帰ろうではないか。
というわけで大きめで少し豪華そうな回族のレストランで「羊羔肉」を食べた。羊羔肉は、簡単にいえば羊肉と野菜の炒めもので、必ず粉帯もいっしょに入っている。粉帯は日本でいえばところてんのような、でんぷんを麺状にしたものである。
羊羔肉はご飯と実によく合うので、羊の美味しい地方を訪れたなら、ぜひ味わいたい料理のひとつだ。羊肉もボリューム満点で美味しかった。この店はアタリだ。
じゅうぶん満足したところで、蘭州駅に向かった。中国のちょうど真ん中に位置し、有名な蘭州ラーメン発祥の地でもあり、私は蘭州に対して以前から愛着を持っていた。蘭州は昔から工業で発展してきたため、市街の空気もよいとは言えず、近年は慢性的な交通渋滞に悩まされている。
今年(2016年)開通予定の地下鉄が渋滞緩和の一助になればと願う。
日頃から宗教とは距離をとった生活をしている日本人には、衣服を泥だらけにして五体投地する彼らのチベット仏教に対する敬虔さは、異様に映ることもあれば、時に感動をもたらす。車での移動中、遠くに見えた数人のチベット族が高原にポツンと建つ白塔の周りを歩いている風景をみたとき、そんな感傷をおぼえた。
また、そんな素朴で昔からの生活を変えようとせず、ひたむきに仏教と向き合う人たちを見た一方で、レストランで談笑したり、スマートフォンを使いこなすチベット族の僧侶や、高級車を運転するチベット族の姿も見かけた。どちらがいい悪いではなく、どちらも現在を生きる人々の生の姿であり、これは実際にこの地を訪れなければ見ることのできないものだ。
チベット族にも色々な人たちがいて、思い描くことも違うのかもしれないが、それでも、彼らの捧げる祈りの先には、チベット自治区の中心部、ラサのポタラ宮があるのではないか、と思った。(終)
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