ポタラ宮殿と大昭寺(ジョカン)

ポタラ宮殿

マルポリの丘の上にそびえるポタラ宮はラサのシンボルです。 かつては歴代ダライ・ラマの宮殿として使用されており、1994年にユネスコの世界遺産に登録されました。
7世紀吐蕃王朝のソンツェン・ガンポ王の時代から王宮が築かれていたとされます。 王が唐の文成公主を王妃として迎えるためにマルポ・リ(紅山)の上に9層からなる1000間の宮殿を建造し、ポタラ宮と命名しました。 ポタラとは観音菩薩が住む地という意味です。
吐蕃王朝は9世紀中ごろに終焉を迎え、長い間チベットは混沌の最中にありました。 そして17世紀、歴代の法王でも最も偉大といわれるダライ・ラマ5世は、少しでもチベットの民に安らぎをという願を込めてか、 ポタラ宮に白宮の造営を開始し、4年の歳月を経て完成させました。白宮はダライ・ラマの住居となり、チベットの政治の中心となりました。 5世の死後に完成した紅宮はチベットの宗教の中心となり、ひとまずポタラ宮の最終形となり、 その後も歴代のダライ・ラマ達によって拡張工事が行われ現在の姿に落ち着きました。 1950年の起こったチベット動乱で59年、14世がインドへ亡命するまで歴代のダライ・ラマの住居となりました。
文化大革命時には、国家的重要文化財として中国政府の管轄下にあったので物理的被害は最小限に抑えられました。


ポタラ宮の構造

宮殿は大まかに東部の白宮、中部の紅宮の3つに分けられ、面積は約36万kuで13階建て、高さは117mに及びます。 部屋数については諸説ありますが、1000部屋とも2000部屋とも言われており迷路のように入り組んでいるので未だに宮殿の 構造をつかめておらず、図面すらありません。

@紅宮(ポタン・マルポ):
紅宮は宗教行事を主に執り行う場所でした。ダライ・ラマ5世から14世が亡命するまでの重大な宗教行事 などは全てここで執り行われました。歴代のダライ・ラマ5世から6世を除く13世のミイラを修めた霊廟やお堂があります。

A白宮(ポタン・カルポ)、西日光殿、東日光殿:
白宮は歴代のダライ・ラマ達の政治的行事を行う場所(西日光殿)であり、寝宮(東日光殿)でした。 中には経堂や倉庫、ダライ・ラマに仕えた人たちが使っていた部屋があります。
白宮が完成した後、ダライ・ラマ5世はゲルク派6大寺のレプン・ゴンパからここへ移り住み入寂のときまでを過ごしました。

Bデヤンシャル:
中庭のようになっており、ダライラマが建物の上から劇を観賞していました。

C僧房:
ダライ・ラマに仕える側近のラマたちの住居です。

大昭寺(ジョカン)

2000年に世界遺産に登録されたジョカンは7世紀、吐蕃王朝の33代ソンツェン・ガンポ王の魂を弔う為に、ネパールから嫁いできたティツン が占星術によって導き出した場所の湖を埋め立て建てられたとされます。 よって寺はネパール側(西)を向いて建てられています。 湖を埋め立てた際にヤギを使ったのでラサ(ヤギの地)と呼ばれるようになったとも伝えられています。
ジョカンはチベットの人々の宗教活動の中心、聖地であり、チベットで最も崇拝される寺院です。 寺の前では香草が焚かれ、読経しながら五体投地で祈りを捧げる人々で溢れています。 寺内にはたくさんのマニ車が設置され、本尊はティツン王女がネパールから運んできた、 チベットで最も聖なる仏像の一つといわれる十一面観音像と、 こちらもチベットで最も神聖でジョカンの目玉、文成公主が長安よりもたらした釈迦牟尼像です。 他にもツォンカパ堂や、湖を封じた石など見どころは尽きません。


ジョカン(左)と本尊ジョウォ像(釈迦牟尼像)

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