阿里(ンガリ)は、中国チベット自治区西部に位置します。阿里(獅泉河)が実質上治経済上の中心にあたります。 大小60の湖があり、80の川が流れ、平均海抜4,500mです。人口は6万人ほどで、世界で最も人口密度の低い地区とされています。 ヒマラヤ山脈、カンティセ山脈、カラコラム山脈とコラム山脈に囲まれており、「万山の祖」とも呼ばれます。 中国チベット旅行のハイライトとも呼べる観光スポットがありますが、その海抜の高さや位置関係から訪れることは困難で、阿里地区の南西、ネパールとの国境近く、交易の町となるプラン付近の聖地カイラス、マナサロワールなどは、到達困難な見どころとして、バックパッカーの脚光を浴びています。
タルツェンから西北に50km行ったところにムンツェルという小さな町があります。そこからさらに3時間ほど歩くと
カイラス、マナサロワールと同じくチベット西部の聖地に数えられるお寺があります。
ティルタプリに訪れないと巡礼は完了しないと言われています。
たくさんのタルチョがはためき、辺りには温泉が湧き、神山・神湖の巡礼を終えた行者達の憩いの場となっています。
中国とネパールの国境の町で、海抜3800メートルに位置し、
インド、ネパールのヒンドゥー教徒がカイラス山やマナサロワール湖に巡礼に訪れる際の基点となる町です。
ツァンダのトリン・ゴンパはアティーシャが2年ほど過ごした事でも有名で、
最盛期には500人もの僧が生活していました。
グゲ遺跡というと一般的にツァパランのことを指します。
カイラス等と並ぶ西チベットの見どころの一つです。
グゲ王国の歴史は842年−1630年と古く、
10世紀にはグゲの首都ツァパランは石灰質の岸壁に守られた要塞都市であり、
仏教の中心のひとつでした。最盛期の人口は数千人ともいわれています。
その後紆余曲折し、1630年にラダック王に征服されて滅びました。
グゲ遺跡の千屍洞には、ラダック軍との戦いで陥落したときに戦死した数百という兵士が、
極端に乾燥した環境の為そのまま乾きミイラになり、今も数十体が残っています。
遺跡の壁画も状態が良く残っているものがあり、白宮にあるものは特に美しいとされています。
柔らかい地層を持つツァンダ周辺には、見渡す限り壮大で息を飲むような土林が広がっており、
訪れた人の絶賛を浴びています。
ツァンダの北20kmに、近年詳しい調査が行われて注目を浴びたピャン村とドゥンカル村があります。
隣接した二つの村には合わせて1000以上に及ぶ石窟群があります。
11世紀頃の貴重なグゲ様式の建築や壁画が残り、美術的価値も高いです。
トリン寺は11世紀にララマ・イェシェーウー王のよって創建されました。
紅宮、白宮の美しい壁画が見ものです。
1042年にはインドの高僧、アティーシャが招かれ、ここで「菩薩道灯論」を書きました。
文革の時代当時には大部分が破壊され、白宮と紅宮の外形以外はほとんどなくなってしまいましたが、
少しずず復興が始まっています。
昔、グゲ王国の時代にはンガリの宗教の拠点として長い間栄華を極めた、全国重点文化財にも指定される程の名刹です。
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