ラマの紹介

ラマとは高徳の師、上人という意味です。チベット仏教の高僧、また一般にチベット仏僧の総称ですが、 本来は師匠たる僧を表す名称なので、修行中の僧をラマと呼ぶのは厳密には間違いです。
ラマになる僧は必ずしも転生継承ではなく、修行を積んでラマと呼ばれる僧になる者もいます。

ダライ・ラマ

「ダライ・ラマ」(智慧の海の意)とは、チベットの国家元首で、生き仏といわれるチベット仏教の最高指導者です。 ひとびとを導くために涅槃に入らず、輪廻世界に生まれ変わる観音菩薩の化身であると信じられています。 生き仏とは1000体の仏、菩薩が人間の姿をして現世に現れたもので、 ダライラマはその頂点に立ちます。
ダライ・ラマは生まれ変わるとされるため、亡くなると新たに次世代が選出されます。 ですから、現在まで14世続いているダライ・ラマは実は1人ということになります。


ダライ・ラマの選出方法

1933年ダライ・ラマ13世が亡くなった時チベット政府は13世の生まれ変わり、すなわちダライ・ラマ14世を 探すため、全国から身分の高い僧侶や予言者を召集して捜査隊を結成しました。
13世の死後、なぜか頭の向きが北西の方向に傾きました。捜索隊がその方角にあるラツォー の湖に訪れると、水面に3つのチベット語、とある僧院と家、それに、そこで飼っている犬が現れたといいます。
翌年、チベット全国に派遣された捜索隊は水面で見た予言どおりの僧院と家を、そしてその頃3歳になる 子供を見つけたのです。
ですが予言どおりの場所が見つかり、そこに幼い子供がいたらそれがダライ・ラマだということにはなりません。 ダライ・ラマに認定されるには、複数の法具の中から先代のダライ・ラマが使用したものを選び出さなければならない という試練をクリアしなければなりません。テンジン・ギャツォ(現14世)は難なくそれらを選び出し、1940年、正式に ダライ・ラマ14世として即位しました。
選出方法はダライ・ラマの死後、数々のお告げによって見出される方法と、生前にダライ・ラマ本人が預言 することもあります。

パンチェン・ラマ

パンチェン・ラマは、チベット仏教においてダライ・ラマに次ぐ高位の僧及びその称号です。 ダライ・ラマと同様、転生によって後継者が決定されます。
シガツェのタシルンポ寺の座主であり、ダライ・ラマ5世よりチベット仏教界における第二の地位を与えれ、 阿弥陀如来の化身として崇められています。
パンチェン・ラマがダライ・ラマによって認定された時、政治的地位までは与えられませんでした、 しかし、ラサはポタラ宮のダライとシガツェ、タシルンポのパンチェンの間には代々中央政権を巡る政治的な争いが絶えませんでした。

チベット所縁の有名人

釈迦

仏教と言えばやはりお釈迦様。他にも釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼仏陀、釈迦牟尼如来などと呼ばれます。 本名はゴータマ・シッダールダ(サンスクリット語)だったと伝えられます。

仏教の開祖であるお釈迦様はネパールのルンビニに生まれ、その直後7歩あるいて右手で天、左手で地をさし「天上天下唯我独尊」、 と唱えました。
釈迦族の王の息子として何不自由なく暮らしていましたが、全ての人の逃れられない「苦」を目の当たりにし、29歳のとき 煩悩の世界を解脱しようと決意しました。
その後6年間苦行を積みましたが心身を消耗するのみで悟りへの道は開けないと知り苦行を中止し、 インド東部、ブッダガヤの菩提樹の下で49日間の瞑想に入ります。そしてついに12月8日、悟りを得ることに成功しました。
それからブッダは80歳まで説法をして回りますが、晩年には体力も衰えてしまい、2月15日、最後は食中毒の為仏滅しました。

ソンツェン・ガンポ

ソンツェン・ガンポ(581〜649)は吐蕃王朝の建国者です。33代目とされていますが吐番王朝の歴史はソンツェン・ガンポからといっても 過言ではないでしょう。なぜならチベット高原の諸族を初めて統一し、ラサを都と定め、国家体制を確立したのは他でもないソンツェン・ガンポ王です。 他にも使者をインドに派遣して文字を学ばせ、チベット文字を作るという業績も残しています。 唐とネパールの両国から公主を招きその文化を柔軟に吸収しました。
彼の死後、ネパールの王妃ティソンが夫の死を憂いて建てたのがジョカン(大昭寺)です。

マルパとミラレパ

吟遊詩人ミラレパはカギュ派の苦行者です。
裕福な家に生まれましたが、幼い時に父親を亡くし、家の財産を伯父に奪われ母と妹の3人は奴隷のように扱われます。
その後、ミラレパは復讐のために黒魔術を学び、なんと伯父の家族35人を滅ぼしてしまいます。 そのためミラレパは命を狙われた上、自らの犯した罪も重さに耐えきれず、魂の救済を求め旅立ちました。
そこで出会ったのがマルパという師です。マルパは度々インド、ネパールに留学し、ナパーロという師のもとで完全に悟りを開きました。 チベットに貴重な密教の教えをもたらしたことでも有名です。
マルパはとても厳格で、ミラレパに非常につらくあたりました。 マルパはミラレパに何度となく塔を造るよう命じ、完成したらまたそれをミラレパに壊すよう命じます。
ミラレパは師を尊敬しており、愛を以て接していましたが、度重なるマルパの過酷な教えにミラレパの心は折れ、 何度も師の下を逃げ出し、命さえ断とうとします。しかしついに師のとる行動は自身の背負う罪のを浄化するため のものだと悟り、ついにミラレパは9階建ての塔を完成させます。
のちにマルパとミラレパはチベット4大宗派にも数えられるカギュ派を興しました。

ツォンカパ

ツォンカパ(1357年-1419年)はチベット仏教最大の学者で哲学者といわれており、 彼の生き方は今もチベットに暮らす僧達の手本となっています。
ダライラマを世に輩出したゲルク派の開祖で、ダライラマの奉じる仏教哲学を創始した人物です。 53歳のときにゲルク派の総本山となるガンデン寺を創建しまし、 当時、顕教と密教の境が曖昧になりつつあり、チベット仏教の未来を危惧したツォンカパはゲルク派を設立し、 顕教を修めた者にのみ密教を伝授するというシステムを確立しました。
ツォンカパは1419年、自らが創建したガンデン寺で死去し、遺体はミイラ化され保存されていましたが、 文化大革命の最中に散逸してしまいました。

アティーシャ

アティーシャ(982年-1054年)はインドの後期密教の総本山ヴィクラマシーラ寺の 修道院長として顕密両教に通じたインド仏教最高の指導者でした。
11世紀、当時の吐蕃王朝に弾圧され、衰退しつつあったチベット仏教を 復興すべく、西チベットの王家が招き、1042年にグゲ付近のトリン寺に赴きました。 アティーシャはここで「菩提道燈論」を著すなどし3年を過ごします。 これを機に、チベット仏教は完全に復興を遂げました。
その後もチベットを回り布教活動を続け、72歳で死去するまでチベット仏教の復興に貢献しました。

グル・リンポチェ

グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ=サンスクリット語で蓮華生の意)は8世紀後半、パキスタンのスワット地方に蓮の花から8歳の姿で 生まれてきたとされます。
蓮の花の上に座っていたところをインドの王に発見され、養子に迎えられ王子になり、国政を委ねられるまでになりますが、 ある時突如現れたヴァジュラサットヴァ(金剛薩た)の教えを受け、王位を捨てて出家しました。
多くの師のもとで学び高僧となると、グル・リンポチェの噂を聞いた吐蕃王朝の王、ティソン・デツェンに招かれ チベット赴き、土着のボン教を調伏しチベット仏教の基礎を築きました。
サムイェ・ゴンパの建設にも携わり、完成後密教の聖典を様々な形で埋蔵し、自らは羅刹国に向かいました。 これを「テルマ」といい、これを発掘し奉じたのがニンマ派です。

河口慧海

チベットに所縁のある日本人と言ったらやはりこの人です。
慶応2年に大阪府堺市に生まれ、1890年に禅宗・黄檗宗の寺で出家します。 漢訳仏典に不備を感じた慧海は、仏典の原型を良く留めているとされるチベット語約の大蔵経を入手するため 1897年、当時鎖国政策をとっていたチベット入りを目指してインドに渡り、ダージリンでチベット語を学びながら機会を伺っていました。
そして1900年、ついにチベット北西原に徒歩で辿り着くことに成功しました。日本人で初めてカイラス、マナサロワールを巡礼し、 1901年、念願のラサに入ることに成功しました。
ラサに着いた慧海はセラ寺に入門し勉学と修行に励みました。漢方に明るい慧海はセラ寺で人気者になり、ダライ・ラマ13世に謁見するほどになります。 ところがついに日本人であることが露見してしまいダージリンに逃げ帰り、日本に帰って来たのは1903年のことです。
帰国後の慧海は自身の体験談を新聞に発表、東京と大阪の新聞に掲載されました。1904年、その体験談は「西蔵旅行記」と題され、 全上下2巻が出版されました。
その後もインド、中国、ネパール、2度目のチベットを訪れ、チベット一切経など貴重な資料を持ち帰りました。 慧海はそれらの資料を元に仏典やチベット語研究に力を注いだり、大学で指導するなど後進の指導に力を入れました。


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