グゲ遺跡の紹介

グゲ王国の歴史と聖人
グゲ(古格)王国の遺跡はチベット(西蔵)自治区阿里(ンガリ)地区ツァンダ(札達)県にあり、1000年の歴史があります。
8世紀末にティソン・デツェン王が亡くなり、仏教が衰退していった9世紀半ば、王家の子孫たちはチベット西部ツァン地方に散らばり、 グゲ王国を建国しました。

当時、王を失い土着の宗教との摩擦などで衰退していった仏教の復興を志す王らは10世紀末頃、 積極的にインドへ若者を送り、リンチェン・サンポなどの経典翻訳家を育成しました。

チンチェン・サンポはインドで17年間を過ごし、経典、タントラ等、極めて重要な仏教文献を翻訳しました。トリンゴンパの創建者としても有名です。
彼は偉大な大経訳官として活躍し、西チベット初期における偉大なる伝道者と賛美され、 第2のブッダとも呼ばれた聖者です。

ランダルマ王の息子ウースンが建国したグゲ王国4代目イェシェ・ウーも、仏教復興に貢献したひとりです。
彼はトルコ軍に捉えられ、王と同じ重さの金を身代金を要求されましたが、その金を仏教復興の為、 インドから高僧を招くために使うよう諭し、自らは犠牲になりました。
その命と引き換えに招かれたのが、 インド後期密教の総本山ヴィクラマシーラ寺の修道院長として顕密両教に通じた、インド仏教最高の指導者アティーシャでした。
アティーシャはこの地で3年を過ごしチベットで生涯を終えましたが、その間の業績は計り知れず、 グゲ国滞在時、トリン寺での主著「菩提道燈論(覚りに至る道を照らす灯)」はガダム派を生み、現在のゲルク派の源流ともなりました。

11世紀にグゲ王国は分裂して衰えますが、14世紀にトリン寺の南に復興しました。
15世紀には都が再びツァンダ(札達)に戻されました。
1630年、バルティスターン王国と同盟を結び、センゲ・ナムギャル王の治世下に、 当時最盛期を迎えていたラダック軍に滅ぼされました。
独立国としては滅びましたが、その立地から難攻のグゲは、どうにか王国としての体裁を保ちました。
1647年にラダックの王が亡くなると、グゲは間もなくチベットの管轄下となりました。
20世紀初め、イタリアの学者によってグゲ遺跡は発見されました。
辺境の地にあることから、これといった調査は行われず、中国政府による本格的な調査が始まったのは1985年以降のことで、 いまだに多くの謎が残っています。

南には万年雪を頂いたヒマラヤ山脈、あたりには雨や風に浸食されてできた土林群、遠くまで見渡せる大峡谷は圧巻です。
グゲ王国遺跡には地形をうまく利用した300以上の部屋があり、麓から山頂まで続いています。
山の中腹にはかつての僧房があり、白宮、紅宮内部には彫刻と色彩鮮やかな壁画があります。 1961年チベット文化の重要な構成部分として、中国初の重点文化財保護指定を受けました。
千屍洞には1630年にラダック軍に攻め込まれた際に殺された兵の死骸が投げ込まれ、 ミイラになり今も残っています。


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